【体験談】ハノイ大気汚染の真因は?データで読む規制すべき対象
はじめに
ベトナムの報道各社は、2025年11月25日から27日頃にかけて、次のような記事を報じました。
“ハノイ市人民評議会は、2026年7月1日から環状1号線の一定時間帯または一定区域内でのガソリンバイクの走行を禁止する低排出ゾーンに関する決議を可決した。”
(出典:Nhan Dan – Ha Noi thi diem cam xe may xang theo gio tai mot so khu vuc vanh dai 1 tu ngay 1/7/2026)
理由は、ハノイの深刻化する大気汚染です。ハノイでは、特に冬季(12月〜3月)になるとPM2.5濃度が高くなります。そのため、ハノイの空は視認できる白っぽい靄(スモッグ)で覆われます。これに対して自治体は、2026年7月に中心区でのガソリンバイク乗り入れ規制を検討しているのです。

ですが、ハノイで生活している私からすれば、本当に「ガソリンバイクの規制」が効果的なのかが疑問でなりません。おそらく、同じように思っている人も多いでしょう。そこで今回は、この疑問に対してデータで検証、本当に規制すべき対象は何かを解説します。
大気汚染が深刻化している地域|ベトナム国内外の事例
世界には、大気汚染が深刻化している地域がたくさんあります。では、どのよような都市で、何が原因なのでしょうか。
代表的な都市・地域と特徴
ハノイ/ベトナム
特に冬季の高濃度PM2.5は深刻。その原因は、交通(車輌)・工業・家庭燃焼・バイオマス燃焼・ごみ焼却・越境輸送・地形の混合と調査報告では示されています。また、いくつかの調査によれば、交通及び越境由来の寄与が大きいとする研究もあります。
(出典①:VN EXPRESS – Vehicles, industry, crop burning cause Hanoi pollution crisis)
(出典②:UNIVERSITY OF LEEDS – Factors affecting perceptions in transport)
ニューデリー(インド)
冬季の農業残渣焼却、都市内車輌、工場、建設塵、気象的閉塞で、PM2.5は極めて高濃度。調査報告では、都市内の交通(車輌排気)、発電所などの産業、路上や建設に由来する塵、バイオマス燃焼やごみ焼却、地域外からの越境汚染など、複数の発生源の寄与を示しています。
(出典:PMC – Tackling Delhi’s Air Pollution Problem)
北京近郊/華北平野(中国)
北京・華北平野の重いPM2.5汚染は、「石炭燃焼(発電・暖房)+工業排出+道路/建設塵+農地残渣焼却(季節性)+気象的滞留/越境輸送」 の組合せが主因と示されています。特に石炭燃焼が深刻な問題。というのも、SO2, NOx, 一次PM(煤じん)、および一次粒子の核となる物質を大量に出すためです。
(出典①:Aerosol and Air Quality Research)
(出典②:EGU – High-time-resolution source apportionment of PM2.5 in Beijing with multiple models)
このように、深刻化地域の共通点は「複数の発生源」「気象・地形による滞留」です。そのため、単一の理由で説明できないことが多く、複合的に考えることが重要です。
大気汚染の“本当の”原因|体系的整理
この章では、大気汚染(特にPM2.5・化学種)を作る要素を階層化して整理します。
発生源(ソース)
まず、大気汚染の発生源は、主に以下が考えられます。
- 移動源:オートバイ、自動車、トラック、バスなど。
- 点源:産業の煙突、発電所、工場など。
- 面源/散発源:家庭の燃焼、飲食店の調理排気、ごみ焼却、露天焼却など。
- 非排気/再飛散源:道路粉じん、建設現場の塵埃など。
- 越境/地域源:農業残渣焼却、中国・周辺地域からの二次粒子の輸送など。
(出典:UrbanEmissions.info – Air Quality Management Action Plan for Hanoi, Vietnam)
化学的メカニズム
そして、大気汚染の科学的メカニズムは、主に以下が考えられます。
- 一次粒子(直接排出されるPM)
- 二次粒子(大気中のSO2, NOx, VOCs が化学反応し、二次的に生成される硫酸/硝酸/有機粒子)
*交通由来のNOx/VOCsは、二次生成に寄与。
(出典:MDPI – Assessment of Air Quality and Health Impact in Hanoi (Vietnam) Due to Traffic Emission)
気象・地理条件
また、大気汚染における気象・地理条件は、主に以下が考えられます。
- 冬季の逆転層、風向の弱さ、盆地的地形による滞留が、PM2.5濃度上昇を助長。
*ハノイも安定した大気条件で域外物質が滞留。
(出典:UrbanEmissions.info – Air Quality Management Action Plan for Hanoi, Vietnam)
共通項
都市での高PM2.5は、以下の組み合わせが主因で生じます。
「交通」×「燃焼(産業・家庭・農地)・ごみ焼却」×「気象・滞留」×「越境輸送」
ガソリンバイク(つまり、交通)は確かに大気汚染の一因です。ですが、この一因を減らしても、他の因子が残れば、濃度は劇的に下がらないと判断できます。なぜなら、ガソリンバイクの大気汚染への寄与は、他の因子よりも低度だからです。このことについては、次の章で解説します。

ガソリンバイクを1時間乗った場合に出す大気汚染量|数値化
ここでは、代表的計算式を示し、複数の論文・報告のレンジを提示します。
基本データ(ソース・仮定)
EF|PM2.5排出係数
Hanoi/Vietnamの実測・推定での代表値(以下)は、Hanoi向けの調査数値を主要値に採用。
0.094 g/km(PM)
ただし、文献により大きく異なり、古い二ストローク車や劣化車輌はもっと高いです。
(出典①:PHAT THAI TU HOẠT DONG CUA XE MO TO, XE GAN MAY TRONG GIAO THONG DUONG BO TAI THANH PHO HA NOI)
(出典②:PRELIMINARY ESTIMATION OF EMISSION FACTORS FOR MOTORCYCLES IN REAL-WORLD TRAFFIC CONDITIONS OF HANOI)
平均速度(都市内)
ハノイの報道・研究によれば、以下が平均値です。
平均35 km/h
ただし、渋滞などで低速という報告記載もあり、朝夕で変動はあります。そのため、代替値として市内平均8–12 km/日などの調査値もあるため、シナリオで示します。
(出典①:VN EXPRESS – Hanoi’s smog puzzle: Vehicle emissions contribute just 15%, officials say)
(出典②:Investigation of modal integration for transit-access trips in motorcycle dependent cities)
B. 単純計算(PM2.5)
-
式:PM_mass_per_hour (g/h) = EF (g/km) × speed (km/h)
代表値で、以下を計算。
-
EF = 0.094 g/km、speed = 35 km/h
→ PM2.5 = 0.094 × 35 = 3.29 g/時間(≒0.00329 kg/h) per ガソリンバイク
注意(不確実性)
文献によっては”EF”が1桁〜数十倍の差があります。例えば、一部では数g/kmと評価されることもあります。また、Parisの解析などでは、最大で数 g/kmという値も議論されています。そのため、これについてはレンジで示します。
- 低レンジ:0.094 g/km → 3.3 g/h(上記)
- 中レンジ(劣化車多め・渋滞等):0.5 g/km → 17.5 g/h.(参考値)
- 高レンジ(古い2-stroke等、極端事例):5.0 g/km → 175 g/h(極端)
(出典①:Cost of air pollution from motorized two-wheelers in Paris)
(出典②:Air pollutant emission factors from new and in-use motorcycles)
C. 年間ベース(1台当たり)
- 代表的な年間走行距離(Hanoi 研究):7,400 km/年(研究値) or 4,500–7,400 km/年のレンジ。
- 年間PM(代表値) = EF × 年間km = 0.094 g/km × 7,400 km = 695.6 g/年 ≒ 0.696 kg/年 per ガソリンバイク。
そして、ハノイに6,700,000台のバイクが存在すると仮定し、代表”EF”を採用すると以下のようになります。
年間総排出 = 0.696 kg/台 × 6,700,000台 = ≈4,660,000 kg ≒ 4,660 トン/年(PM2.5)
補足として、この「約4,660t/年」は、PM2.5(直接排出)の概算です。つまり、CO2やNOxとは異なります。また、「PM2.5」は二次生成(SO2/NOx/VOC由来)を含まない一次排出の数値です。
(出典①:Development of emission factors and emission inventories for motorcycles and light duty vehicles in the urban region in Vietnam)
(出典②:Motorbikes to be prohibited in 12 metropolitan districts by 2030)
ガソリンバイクの乗り入れ規制|数値シナリオ
この推定は、「地域、代替手段、越境寄与、気象」といった多くの仮定を含みます。そこで、以下では、“分かりやすいシナリオ計算”を用います。
A. 基本パラメータ(仮定・情報源)
ハノイのバイク総数は、近年推定で約6,700,000台です。ですが、2026年7月の「中心区乗り入れ禁止」で直接影響を受ける台数は、短期で約450,000台が中心リング内で代替・削減の対象との推計があります。ただし、中心域台数は政策で異なる点に留意して下さい。
(出典:VIETNAM AUTOMOBILE AND MOTORCYCLE)
ハノイのPM2.5起源の割合(論点)
一部報告によれば、車輌(交通)による寄与は大きいとされます。ですが、一方で別の報告によれば、「都市外由来の越境が大きい(市外からの輸送が ~45% など)」と示されています。
(出典:VN EXPRESS – Vehicles, industry, crop burning cause Hanoi pollution crisis)
B. シナリオ計算(簡易)
目標として、中心区で450,000台分のガソリンバイクが完全にゼロになる(または、ゼロ排出の電動化などに置き換わる)と仮定します。
- 1台当たり年間PM(代表EF) = 0.696 kg/年(上で算出)。
- 合計削減量(年) = 0.696 kg/年 × 450,000 台 = 313,200 kg/年 ≒ 313.2 t/年(PM2.5)削減。
- ハノイ市全体排出(仮):上で計算した全バイクベースの排出 ≈ 4,660 t/年(代表EF)。
- 450,000台削減は、約6.7%(=450,000/6,700,000) の台数削減に相当 ⇒ バイク由来PMの約6.7%減。
もし、バイクが「都市内人為源(ローカル発生分)のうち30%を占める」と仮定します。すると、市全体PM2.5総量に対する減少比は、概算で以下のようになります。
0.067 × 0.30 = 0.0201 = 約2.0% の濃度減少
もし、別の研究値で「バイク(または交通)が都市のPM2.5の66%を占める」と仮定します。すると、概算で以下のようになります。
0.067 × 0.66 = 0.044 = 約4.4% の濃度減少
結論(シナリオ)
中心区で450,000台を規制した場合、年間一次PM2.5削減量は、概ね ~300t/年(代表”EF”積算)。これをハノイの全市濃度に換算すると、数%(おおむね2%〜5%)のPM2.5濃度低下が見込まれます。ただし、越境やその他ソースが支配的な日・季節では、ほとんど見えない可能性があります。
重要な留意点(モデリングの限界)
上記は一次排出量の単純比例計算です。そのため、「濃度(μg/m³)」への変換は気象・拡散・二次生成を考慮する必要があります。そして、実際の濃度改善は、地域・季節・日次によって大きく変わります。また、越境寄与や二次粒子生成が大きいと、局所の一次削減の効果はさらに相対的に小さくなることに留意して下さい。
ハノイの大気改善のために本当に取り締まるべきこと
以下は、「効果性・現実性・コスト対効果」の観点から優先度をつけた私なりの提言です。
Aランク優先|高 – 即効性&健康利益大
-
産業・大型燃焼施設の排ガス規制の強化と監視。
理由:工場や発電所のスタック排出は、SO2/一次PM/二次粒子の重要源です。そのため、測定と規制強化で比較的確実に大量削減が可能と予測されます。 -
家庭・飲食店の燃焼(バイオマス・石炭)と露天焼却の削減
理由:都市周辺・農村部での焼却が冬季スパイクの重要因です。そのため、住宅のクリーン燃料支援や焼却禁止の執行が効果的と予測されます。 -
大気モニタリング網と越境輸送のリアルタイム評価(季節毎)
理由:越境寄与が大きい日はローカル措置だけでは無効です。そのため、データに基づく季節対策(農地焼却の管理等)が必要と予測されます。
Bランク優先|中 – 交通関連の“賢い”対策
-
古いディーゼル貨物車・工事車輌の規制(高速で効果)
理由:「白煙および黒煙を吐く古い車」は非常に高排出量の可能性が高いです。そのため、ガソリンバイクの規制よりも重点規制で即効的効果あると予測されます。 -
都市中心部での車輌管理(通行料・NOx対象区域、トラック夜間規制)
理由:“高排車輌”の制限(古い車輌・大型車)を優先した方が効率が良いと予測されます。 -
劣化バイクの“更新(電動化)+整備強化”の支援策
理由:既存の劣化バイクが高排出です。そのため、電動化補助+車検・整備制度の強化で排出削減が期待できます。つまり、完全禁止より“置換”が現実的と予測されます。
Cランク優先|長期 – インフラ投資と都市計画
-
公共交通の拡充(メトロ・BRT・安全なラストマイル)
理由:モードシフトを促し、長期で交通排出を低減することが大事です。これは、即効性は低いですが、持続可能と予測されます。 -
ごみ処理インフラ整備(焼却ではなく収集・衛生処理)
理由:露天焼却からの金属・有機物がPMスパイクの要因です。そのため、インフラ改善は健康利益大と予測されます。
要点まとめ
確かに、ガソリンバイクは、一定の寄与を持つと考えられます。ですが、ハノイの冬の深刻なPM2.5は複数因子の組合せで発生しているため、単独でガソリンバイクを規制しても、大幅なPM2.5削減には繋がりにくいでしょう。
なぜなら、単純計算ですが、中心区で 450,000台 のガソリンバイクをゼロにした場合、一次PM2.5削減量はハノイ全体の大気濃度ベースで、概ね2~5%程度の濃度低下に相当すると推定されるためです。
より大きな改善を得るには、
- 高排出の車両や点源の規制
- 家庭や農地での焼却対策
- 越境・季節要因への協調対策
- 公共交通と電動化の進展
が必要でしょう。ガソリンバイクの規制だけでは、不十分だと結論付けられます。
ハノイ生活の体験を通して
今回は、調査報告と計算式を用いて、事象を客観的に判断できるように整理しました。ですが、ハノイで生活をしていれば何となくわかります。
「ガソリンバイクだけを規制しても、大気汚染の根本的な解決にはならないのでは?」
この「現地の感覚」は、何事においてもとても大切な指標です。数値化できないものの、「現地感覚・現地判断」というのは物事の的を得ていることが多いです。
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補遺:計算ノート(簡易)
- 単位合わせ:EF (g/km) × speed (km/h) = g/h。
- 年間排出(1台) = EF × 年間走行距離 (km/yr)。
- 総削減 = 年間排出(1台) × 台数(削減数)。
- 濃度効果の概算 =(削減された総排出量) ÷(市全体総排出量)×(市内発生分が占める市平均濃度寄与率)。
(※濃度変化を精密に出すには、気象・拡散・二次生成を入れた大気化学輸送モデルが必須です。)