
【現地情報】ベトナム建国80周年|独立の歴史と9月2日の意味
1945年9月2日、ベトナム建国の父であるホー・チ・ミン氏が、バーディン広場で独立宣言書を読み上げました。この日は、ベトナムの建国の日(独立の日)とされています。そして現在、ベトナムが建国してから80周年を迎えようとしています。
ハノイ市内では、8月21日から「80周年記念」の予行演習が開始。その影響により、多くのストリートが通行止めとなっています。「80」というキリの良い数字から、今年は例年以上に盛大なパレードとなるでしょう。
日本人からすれば、あまり馴染みのない他国の独立建国記念日。今回は、「9月2日」がベトナム人にとってどんな日なのか、何があった日なのか、解説していきます。
1. 長きにわたるベトナムへの外国支配
ベトナムの歴史は、紀元前111年から約1000年間にわたる中国の支配から始まります。その後、独自の王朝を築き、独立を保ちます。
しかし、19世紀後半になると、今度はフランスの植民地支配が始まります。1887年には、ベトナム、カンボジア、ラオスがフランス領インドシナ連邦に組み込まれ、ベトナムはフランスの完全な植民地となりました。ちなみに、ハノイはフランス領インドシナの首都となりました。
*詳しくは、「フランス領インドシナ」の記事をご覧下さい。
2. フランス植民地支配下のベトナム独立運動
フランスの植民地支配は、ベトナムの伝統的な社会構造を破壊しました。様々な見解はあるものの、主に資源の収奪や過酷な労働を強いるものでした。これに対し、多くのベトナム人が独立を目指して立ち上がります。
ホー・チ・ミンの登場
ホー・チ・ミンは、植民地時代である1911年に船乗りとして海外へ。そして、フランスやアメリカなど各国で独立運動を学びます。1920年にはフランス共産党の創立大会に参加、ソ連ではマルクス主義を学びました。その後、ベトナムの独立運動の指導者としての道を歩み始めます。
ベトナム独立同盟(ベトミン)の結成
1941年、ホー・チ・ミンはベトナムに戻ります。その後、フランスと日本(後述)という2つの勢力からの独立を目指す民族統一戦線として「ベトナム独立同盟」(通称:ベトミン)を結成しました。
3. 第二次世界大戦中の複雑な状況
第二次世界大戦が始まると、ベトナムの状況はさらに複雑化します。
日本の仏印進駐
1940年、日本は日中戦争を有利に進めるため、フランス領インドシナ(仏印)に軍隊を進駐。これにより、ベトナムはフランス植民地政府と日本軍の二重支配下に置かれることになりました。
仏印処理とベトミンによる武装蜂起
1945年3月、日本はフランス植民地政府の支配を終わらせる「明号作戦」を実行します。その結果、ベトナムは日本の庇護のもと「ベトナム帝国」として独立を宣言。しかし、この政権は日本の傀儡政権に過ぎませんでした。
そして、同年8月15日の日本の無条件降伏により、ベトナムに一時的な「権力の空白」が生まれました。
八月革命
「権力の空白」を好機ととらえたベトミンは、8月17日から全国的な武装蜂起「八月革命」を開始。彼らはハノイをはじめとする主要都市を次々と占領し、当時の皇帝バオ・ダイに退位を迫りました。そして、バオ・ダイ皇帝は退位を表明し、2000年以上続いた王朝支配に終止符が打たれました。
4. 1945年9月2日の独立宣言
八月革命の成功後、ホー・チ・ミンは独立宣言の草案を練り上げます。そして、日本の降伏文書調印の日である1945年9月2日、ハノイのバーディン広場に集まった数十万人の群衆の前で、彼は独立宣言を読み上げました。(今年の大きな軍事パレードは、このバーディン広場とその周辺で行われます。)
彼は、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言の言葉を引用し、民族の自決と独立の権利を訴えました。これにより、ベトナム民主共和国の誕生が全世界に告げられ、ベトナムは独立を達成しました。
しかし、この独立は平和なものではありませんでした。旧宗主国であるフランスが再びベトナム支配を試み、その後の第一次インドシナ戦争、そしてベトナム戦争へとつながっていくことになります。
それでも、1945年9月2日の独立宣言は、ベトナムの民族独立の歴史において、決定的な節目として今もなお、ベトナム国民に深く記憶されています。
5. ホー・チ・ミンの死没日も9月2日
ベトナム労働党首席
紙幣(ベトナムドン)のすべてに、ホー・チ・ミンの顔が描かれています。ベトナムにおいて、彼がいかに偉大な人物とされているかがわかります。
また、ホー・チ・ミンは元・国家首席と呼ばれたりもします。しかし、彼が偉大であることが一目であるのは、1951年2月に「ベトナム労働党主席」のポストを与えられた唯一の人物であるという点です。
これは、彼がベトナム独立運動の指導者として、また新しい国家の建設における最高指導者としての地位を確立した重要な人物である象徴です。
*詳しくは、「ベトナム共産党」の記事をご覧下さい。
1969年9月2日、死去
その後、ホー・チ・ミンは、1969年9月2日に亡くなります。それは、ベトナム戦争が終結する前のことです。奇しくも、これは彼が独立宣言を読み上げた「建国記念日」と同じ日でした。
つまり、「9月2日」という日は、ベトナムにとって二重の意味を持つ日です。「建国記念日」と「ホー・チ・ミンの死去日」、偶然にも同じ日に重要な二つの出来事が起こったため、「9月2日」はベトナム国民にとって特別な日となっているのです。
おわりに
日本はアメリカに敗戦したものの、教科書に明記されるような完全な植民地状態であったわけではありません。そのため、独立を果たすという意味合いがどういったものなのか、理解することは難しいでしょう。
しかし、植民地を経験した国からすれば、やはり独立建国の日は大切な1日です。ぜひこの機会にハノイに来てみてはいかがでしょうか。
*建国80周年に関する情報は以下も参考にご覧ください。
参考①:VnExpress
参考②:政府オフィシャルサイト